ごあいさつ
菊田 和男 Kazuo Kikuta

こんにちは。はじめまして。
フリーランスのスイミングコーチをしている菊田和男です。
人々を取り巻いている水泳の環境が時代の流れとともに大きく変化してきています。
これからも水泳が生涯スポーツとして愛され続けるため、ひとつの施設で大人数を指導するスイミングクラブではなく、個々の目的や個々の悩みを直接解消してあげることを狙いとしてフリーランスになりました。
水泳に興味があるけれど、教えてくれる先生がいなかったり悩みが解消できないなどの問題を抱えている方の元までどこへでも伺わせて頂きます。
あらゆる要望に対して柔軟に解決していくためのフリーランスです。
どうぞよろしくお願いいたします。
おすすめの沖縄そばは「浜屋」さんと「根夢」さん。
長渕剛さんが大好きやるなら今しかねぇ!
※2025年4月現在
略歴
(福島・富山)
1974-1993
福島県福島市出身
幼少時より扁桃腺が弱く、よく高熱を出していました。
小学校2年生の時「25mを泳げるようになりたい」と母親に相談しスイミングスクールに通うようになる。
泳力向上と同時に身体もどんどん強くなり、気づくと中学と高校時には選手コースに在籍し、競泳の選手としてプールと共に青春時代を過ごす。
所属は「ロイヤルスポーツクラブ福島」
セントラルスポーツクラブのグループ校でした。
1993-1995
学校法人健康科学学園富山健康科学専門学校
高校卒業後は水泳指導者への道を志し、富山県上市町にある専門学校へ進学。水泳指導部に所属し水泳指導法はもとより、水難救助法や「ウォーターボーイズ」のようなウォーターエクササイズに取り組む。
1995-2002
富山健康科学専門学校ウエルネススポーツセンター勤務
専門学校卒業後はそのままその学園に就職し、附帯のスポーツ施設での指導や学生指導業務に就く。
スポーツセンターでは競泳選手育成を担当し、小中学生の選手指導をしながら、富山県水泳連盟ジュニア強化も担当し、年に2回の強化合宿を担当。県選抜40名の選手を集めた強化事業を行う。
この頃、オフシーズンの楽しみは沖縄旅行だった。
略歴
(沖縄)
2003-2022
沖縄に移住
株式会社波 之上スイミングスクール勤務
積雪量が多く寒さの厳しい富山を脱出し、念願だった沖縄に移住。マリンスポーツのインストラクターを目指すが結果的に那覇市のスイミングスクールに就職。
スクール支配人となり、会員数約1,800名、従業員数約50名の施設運営と従業員研修を担当。
主な業績は以下の通りです。
主な業績
那覇市役所ちゃーがんじゅう課と連携し、介護予防事業として水中運動教室を企画・運営。要介護認定のリスクが高い高齢者の皆様の健康体力づくりに貢献。
那覇市教育委員会からの要請で小学校体育担当教員のための水泳指導法研修を担当。参加教員は毎年約50名。プール開きを前に学校体育における水泳指導について講習を実施。
泳げなくても楽しくできる「ダンススイミング」を県内ではじめてカリキュラムに導入し、小学生8名からなるメンバーで全国イベントに出場。初出場でジュニア最高賞を受賞する。
ダンススイミングを経験した小学生がシンクロナイズドスイミングに興味を持ち、挑戦したい意向を示したため沖縄県内初となるシンクロスクールを開講。発足時は小中学生4名。まったくの手探りで始める。
アーティスティックスイミング(AS)に名称を変更し、沖縄県水泳連盟AS委員長に就任。ダンススイミング時代から指導していた選手が沖縄県内からは地元育成選手として初めて国体(いちご一会栃木国体)に出場を果たす。
2023
フリーランスへ
スイミングスクール退職後は沖縄本島南部に新規開業する大型リゾートホテルの開業に携わり、リゾートホテルのプール業務・マリン業務について経験。
リゾートホテル退職とともにフリーランスとなる。
